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アホの坂田の真実
坂田利夫の本名って、地神利夫っていうんだけど、阪大の社経研では、
「地神論文」は有名かつタブー。
マルクス主義的な「開発独裁」が、開発途上国の資源配分を最適化することを数理経済的に実証した、秀逸かつ衝撃的な論文。
この論文は阪大では受けいれられず、地神は、博士課程の学生であるにも関わらず学生運動に加担したこともあり、博士号を授与されず、数年のODののち、追われるように阪大を去っていった。
アマルティア・センが1970年に、『集合的選択と社会的厚生(Collective Choice and Social Welfare)』を出したときに、地神(坂田)は歯噛みして悔しがった。
何故なら、センの打ち出した、社会的公正の効用としての関数化という発想は、彼の幻の博士論文である、『開発独裁の社会経済的合理性とそのインセンティヴ
(Socio-Economic Rationality of Autocratic Developmentand its incentiveness)』
において、まさしく主張したものであったからである。
地神が正式に阪大を去ったのは昭和47年。
43年のコンビ結成は、当時盛んであった反戦思想・マルキシズム思想を
大衆レベルにまで浸透させるため、大学に籍を置きながら行なった。
彼自身は、暴力による革命を潔しとせず、学術・芸能を伝達手段とした
平和的な革命思想の浸透を目指した。
しかし、44年以降の学生運動の退潮、45年のラジオ大阪新人賞受賞、
そして自身の博士論文が思想的な理由から何度もリジェクトされるという現実から、お笑いの道に専心する事を決意した。